誰しもが生きづらい社会で多様性を叫ぶ窮屈さ

1990年代

多様性が叫ばれる現代は、昭和生まれの倫理観ではなかなか生きづらいもので、いいじゃないかそれくらいってものが、結構アウトだったりもする。

この、「世代」と「世間」のギャップは、とんねるずの保毛尾田保毛男(ホモウダ ホモオ)というゲイのキャラクターである程度説明ができる。

平成の幕開けとともに誕生したこのイケてるホモキャラは、その時代、一世を風靡し、お茶の間から支持される大人気キャラクターだった。
だが平成が終わる少し前、2017年に久しぶりにテレビで復活した際、あの人気キャラクターから一変、世間から大バッシングを受けてしまった。

「何が面白いのかわからない」──そんな若者の声を見たとき、正直、少し寂しい気持ちになったことを今でも覚えている。

多様性はもちろん大事だし、誰もが自分らしく生きる権利があると僕も思う。ただ、行き過ぎた配慮や、当の本人たちすら望んでいないようなことまで実施しようとする姿勢には、少し違和感を覚える。

例えば海外では、フィットネスジムの更衣室に「自分は女性だ」と主張する男性が入ってきても、ジム側がそれを許容しているケースがあるらしい。その結果、女性の会員が更衣室を利用しづらくなっているというニュースもあるようだ。

ここで強調したいのは、生きづらさを感じているのはマイノリティだけではなく、実は誰もが少なからず生きづらさを抱えながら生きているということだ。

だからこそ、「多様性に配慮しすぎる現状に疑問を抱く」という意見も、一つの価値観として尊重されるべきだと思う。

そんなことを考えると、1990年代の日本人の価値観って、今と比べるとかなりぶっ飛んでいる。いや、マジで常識を疑うレベルで。

例えばストリートファイター2のブランカ。あれ何? 大人になった今でも理解不能なんだけど……。

確か飛行機事故でアマゾンに落っこちてそこで生活してたら肌が緑色になったって、もうこの時点でアウトだろ……。

なんで、肌が、緑色に、なるんだ!
ていうか牙はえてるし腕毛と胸毛が超攻撃的だし、絶対アマゾン関係ないだろ! 遺伝だろ! アマゾン言い訳にして甘えんなっつーの!

でさ、必殺技の電気ショックだって電気ウナギと格闘したら放電できるようになったって……なにその状況! 肌が緑色の少年が電気ウナギと戦って感電しまくってる光景なんてもう地獄以外の何物でもないだろ。

で、ブランカの設定で全般的に言いたいことは「これブラジル人絶対よく思ってないだろ」ってことなんだよね。だってこの設定、ブラジルである必要性がまったくないもん。

例えばガイルなんかは「ザ・アメリカ」って感じのステレオタイプで、まあ理解できるんだよ。でもブランカを見ると、肌が緑色で髪はオレンジ、牙も生えてて、超攻撃的な腕毛と胸毛があって……「ああ、これがブラジル人か!」ってなったら、それはもう差別どころの話じゃない!

こんなキャラクターを今の時代に作ったら、マジで日本がブラジルからクレームが届くどころか滅ぼされかねない。

それでも『ストリートファイター』は今も大人気で、ブラジルを含めた全世界で楽しまれている。つまり、ゲームだからこそある程度のことは許容されるってことなんだと思う。

だからね、そう細かいことでなんでもかんでも言論や創造物を排斥していくのは絶対よくないって思うんだ。
ヨガに対する極めて重大な誤解が生じるためダルシムが削除される、なんて未来、誰も望んでいないでしょ?

フィクションはフィクション、リアルはリアル。そこをしっかり区別したうえで、もう少し寛容になれる余裕が、これからの時代には必要なんじゃないかなと僕は思うんだ。

なんて偉そうに語ってみてはいるものの、子供の頃に保毛田保毛男で大爆笑してた過去に偽りの仮面を被せて、今日も僕は多様なレイシストどもに中指を立てながら生きているってわけだ。

「「マジで多様になり切れない連中ってふぁっくだぜ!!!」」

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